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(1)GPS年表(1959年~1996年)

GPSに関わる出来事の年表 (出典:RAND-CTIレポート)※ニューズレター(No.16)より転載

1920年代   無線航法の揺籃期                               
                                                                                
第二次世界大戦初期

無線信号の着信時差を利用した最初の航法システムであるLORANをマサチューセッツ工科大学の放射研究所が開発。 LORANは最初の真の全天候型測位システムであったが、経度と経度の二次元的システムに過ぎなかった。                  
 
 1959年
(昭和34年) 
 衛星を利用した最初の実用的航法システムであるTRANSITがRichard Kirschner博士の指導の下、ジョンズ・ホプキンス大学応用物理研究所によって開発された。当初、TRNSITは米海軍の潜水艦隊を支援する目的で開発されたものであったが、GPSにも有用であることが実証されるに至った。最初のTRNSIT衛星は1959年に打ち上げられた。
 1960年
(昭和35年) 
初めての三次元(経度、緯度及び高度)信号着信時差式航法システムがレイセオン社によって開発された。このシステムは、鉄道で運搬することによって移動可能な大陸間弾道ミサイルの誘導システムを必要としていた米空軍の要請に応えて開発されたものであった。この航法システムはMOSAIC(Mobile System for Accurate ICBM Control)と呼ばれた。翌1961年に移動式ミニットマン計画が中止になった時、この構想も棚上げされてしまった。
 1963年
(昭和38年) 
 エアロスペース社が三次元空間において高速で移動する機器用の航法システムとして衛星を用いる研究を開始した。この研究は後日、GPSの概念に直結するものであった。この技術は位置が正確に把握出来ている衛星から伝送されてくる無線信号の受信時間を測定することを含むものであった。これにより、既知の衛星の位置までの距離が判明し、その結果、ユーザーの位置が確定する。米空軍はシステム621Bと呼ばれたこの研究を支援し、1972年には擬似ランダムノイズ(PRN)に基づく新しい衛星信号の運用が始まるに至る。
 
 1964年
(昭和39年) 
 高安定クロック、時刻伝送能力及び二次元航法開発促進のため、米海軍の衛星システムであるTIMATIONがRoger Easton氏の指導の下で海軍研究所(NRL)によって開発された。TIMATIONが提供し、宇宙での使用に耐え得る時刻標準はGPSに重要な基礎技術を提供するものとなった。最初のTIMATION衛星は1967年5月に打ち上げられた。
 1968年
(昭和43年)
 
 米国防総省は、様々な衛星航法研究グループ(海軍のTRANSIT及びTIMATION計画及び陸軍のSECOR(Sequential Correlation Satellite Systemを含む)による活動を調整するため、NAVSEG(Navigation Satellite Executive Committee)と呼ばれる陸海空三軍で構成する実行委員会を設けた。この委員会は衛星航法の基本概念を微調整するため、多数の研究を民間に発注した。これらの研究は、搬送波周波数選択(L波帯/C波帯)、信号構成設計、衛星軌道構成(24時間、8の倍数衛星群、Rotating-Y, Rotating-X衛星群)を含め、基本問題に関わるものであった。
 1969年~1972年
(昭和44年~47年) 
 NAVSAGは様々な衛星航法グループの主張を調整した。例えば、海軍のAPLはTRANSITシステムを、NRLはTIMATIONを、空軍はシステム621B同期化衛星群の採用をそれぞれ主張していた。

 
 
 1971年
(昭和46年) 
電離層での変化を補正できるよう、621BシステムにL2波帯周波数が追加された。


 
 1971年~72年
(昭和46年~47年) 
 米空軍の621Bシステム用のユーザー機器がニューメキシコ州ホワイトサンズ実験場でテストされた。地上機器と衛星を模した気球搭載発信機を用いて100分の1マイル(16メートル)の精度が実証された。


 
 1973年
(昭和48年) 
 国防次官補は4月に提案のあった様々な測位・航法システムを国防航法衛星システム(DNSS)と呼ばれる唯一の包括的な国防総省システムに統合するため、陸海空三軍共通の計画を策定するよう決定した。新システムは全ての軍機関の参画を得て合同計画局(JPO)が開発するものとした。JPOの指揮官としてBradford Parkinson空軍大佐が任命され、衛星を利用した航法システムの初期概念共同開発の責任者とされた。

国防システム購買審議会(DSARC)は8月に提出された最初のシステムを却下した。このシステムは空軍の621Bシステムとして取りまとめられたもので、合同計画局の成果ではなかった。新しい衛星ベースの航法システムという発想に対する支持は得られたものの、全ての軍機関の見解と要件とを反映して概念の幅を広げることをJPOは求められた。

12月17日、新しいシステムがDSARCに提出され、現在NAVSTARとして知られているシステムを推進することが承認され、GPS概念立証の始まりとなった(GPS計画の第1期)。実は、この新概念は利用可能な全ての衛星航法概念と技術の優れた点を取り込んでParkinson大佐が策定した妥協システムであった。この承認されたシステムは、12時間・傾斜軌道上に24基の衛星を配置したものであった。

 1974年
(昭和49年)
 
 6月、GPS衛星の建造請負業者としてロックウエル・インターナショナル社が指名された。

7月14日に最初のNAVSTAR衛星が打ち上げられた。Navigation Technology Satellite(NTS)1号と命名されたこの衛星は、基本的にNRLが建造したTIMATION衛星に改善を施したもので、NTS-2号は1977年に打ち上げられた。これらの衛星は概念実証の目的で用いられ、宇宙空間に打ち上げられた最初の原子時計を搭載したものであった。
 
 1977年
(昭和52年) 
 アリゾナ州ユマでユーザー機器のテストが行われた。


 

 1978年

(昭和53年)

 2月22日、最初のブロックⅠ衛星が打ち上げられた。1978年から1985年の間にAtlas-Centaurロケットで合計11基のブロックⅠ衛星が打ち上げられた。ロックウエル・インターナショナル社が開発試作機として建造したブロックⅠ衛星のシステム試験が実施された。打ち上げ失敗により衛星1基が失われた。

 1980年

(昭和55年)

 4月26日、統合運用核爆発検知システム(IONDS)センサーを搭載した最初のGPS衛星が打ち上げられた。

 

 1982年

(昭和57年)

 米国防総省は、1981~1986会計年度の間に予算5億ドルを削減(約30%に相当)するという1979年の国防長官官房の決定を受けて、GPS衛星群を24基から18基に減らす決定を承認した。

 

 1983年

(昭和57年)

 7月4日、新しい核爆発検知システム(NDS)を搭載した最初のGPS衛星が打ち上げられた。

 

9月16日、ソ連による大韓航空007便撃墜事件の後、当時のレーガン大統領はGPSがシステム運用開始となった場合には、無償で民間航空の用に供すると発表した。これはGPS技術が軍用機から民間航空機の利用にまで拡張される端緒となった。

 1984年

(昭和59年)

 測量分野が最初の商用GPS市場となった。GPS衛星群開発の初期に利用可能な衛星が限られていたことを補うため、測量業界は応差GPS(DGPS)や搬送波追尾(Carrier Phase)を含む多数のGPS精度改善のための技術開発に取り組んだ。

 

 1985年

(昭和60年)

 4月、JPO(統合計画局)は最初の大規模なユーザー機器買い付けを行った。この買い付けは、航空機用、艦船用及び携帯用の1、2及び5チャンネル受信機の製造オプションのみならず、研究開発も含んでいた。

 

 1987年

(昭和62年)

 米国防総省(DoD)は、運輸省(DoT)に対して、GPS情報、データ、協力支援に関する民生ユーザーのニーズを集約する機関の設立と運営を担当するよう正式に要請した。この結果、1989年2月、沿岸警備隊(USCG)が民生GPSサービスの担当機関として責務を負うことになった。

 

 1989年

(平成元年)

 2月14日、28基から成るブロックⅡ衛星群の最初の衛星がフロリダ州ケープカナベラル宇宙センターからデルタⅡ号ロケットで打ち上げられた。1986年のチャレンジャー号爆発事故以来、JPOは計画を変更してGPS衛星打ち上げにはデルタⅡ号ロケットを使用していた。ブロックⅡ衛星の設計を以て初めて選択適合性(SA)と耐スプーフイング(A-S)が可能になった。

6月21日、(1992年にはGE社の宇宙事業部門を買収することになる)マーチン・マリエッタ社が20基の後続衛星群(ブロックⅡR)建造を受注した。最初のブロックⅡR衛星は1996年末に必要に応じて打ち上げ準備完了となる予定。

 1990年

(平成2年)

 1987年に設立された世界最大手の商用GPS受信機メーカーであるトリンブル・ナビゲーション社が初めて株式市場への上場を果たした。


3月25日、国防総省は連邦無線航法計画に従って初めて選択適合性(SA)を実施した。これはGPS航法信号の精度を意図的に引き下げるための技法である。

 8月2日、イラク軍がクウエートに侵攻して湾岸戦争が勃発した。この戦争の間、選択適合性(SA)は一次解除された。この決定の背後にあった要因としては、(1)当時軌道上に配置されていたNAVSTAR衛星群が提供できる三次元的有効範囲には制約があったこと、(2)当時の国防総省手持ちのPコード受信機の数に限りがあったこと、が挙げられる。その後、国防総省は湾岸戦争の間に多国籍軍が使用する数千台もの民生用受信機を買い付けた。

 1990年~1991年
(平成2年~3年)
 GPSは、湾岸戦争の間、初めて戦争状態の中で多国籍軍に使用された。『砂漠の嵐作戦』におけるGPS使用は軍事作戦において衛星に基づく技術が戦略的な成功を収める最初の事例となった。

7月1日、湾岸戦争後、再び選択適合性が実施された。 
 1991年
(平成3年) 
 8月29日、米国政府は輸出規制法を改正し、軍用GPS受信機と民生用GPS受信機との間に明確な一線を画することを決定した。改正輸出規制法では軍用GPS受信機は引き続き『兵器』と見なし、その輸出を厳格に管理することとし、他方、民生用GPS受信機は制約を受けることなく輸出できる『仕向地無指定製品』とすることにした。

9月5日、米国政府はGPS標準測位サービス(SPS)を1993年から少なくとも10年間、ユーザーから直接料金を徴収することなく、継続的かつ全世界的に国際社会に対して提供することを約束した。この発表は国際民間航空機構(ICAO)の第10回航空航法会議において行われた。  
 1992年
(平成4年) 
 9月、米国政府は第29回ICAO総会において、1991年に行った約定の内容を更に拡大し、支出可能な予算が確保出来ることを条件としながらも、SPSを無期限に全世界に提供すること、及びGPS運用中止又はSPS提供の廃止については少なくとも6年の事前通知を行うことを約束した。
 1993年
(平成5年) 
 12月8日、国防長官は正式にGPSの初期運用能力達成を発表した。軌道上に24基の衛星群を擁するGPSは開発途上のシステムではなく、誤差100mの精度を維持する能力を有し、SPSユーザーに対して約束した全世界的な利用率(Availability)を継続すると表明した。
 1994年
(平成6年) 
 2月、米連邦航空局(FAA)のDavid Hinson長官は、GPSを非精密着陸進入手続きの全ての段階において独立型航法手段としての使用が承認された最初のシステムとする旨を発表した。

6月2日、FAAの 
David Hinson長官は、カテゴリーⅡ及びカテゴリーⅢ用のマイクロ波着陸システム(MLS)の開発を中止すると発表した。

6月8日、FAAの
David Hinson長官は、航空機航行のあらゆる段階において民生ユーザーのためにGPSの完全性(Integrity)と利用率(Availability)を向上させる広域増強システム(WAAS)を構築すると発表した。このプロジエクトの費用は4~5億ドルで1997年に完成の予定。

10月11日、GPS政策の策定を目標とし、米国政府機関の全てを網羅した会議体としてDot Pos/Vav Executive Committee(運輸省測位・航法実行委員会)が設立された。

11月、ロケット及び衛星の大手メーカーであるオービタル・サイエンス社は、カリフォルニア州に本社を有する携帯型GPS受信機のメーカーである、マゼラン社を6,000万ドルに及ぶ株式スワッピングを通じて買収することに合意した。っかうして、同社は衛星に基づく双方向通信企業になるという目標に一歩近づいた。
 1995年(平成7年) 3月16日、クリントン大統領は、ICAOへの書簡の中でGPS信号を国際的民生ユーザー社会に提供するとの米国政府の約定を再確認した。

 
 1996年(平成8年)  3月29日、クリントン大統領は、GPSと米国の関連増強システムに関わる将来の管理と利用についての包括的な政策確認を承認した。
 
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